2011年10月18日火曜日

プログラムを勉強するきっかけはじゃんけんで負けたから


これまでいろいろな現場に行って、
「なんでプランナーなのにプログラム的なことわかるんですか?」
「ずっとプログラマーだと思ってました」
とか言われたりしていましたが、なんでプランナーなのにプログラムのことわかるかって?

そりゃプログラムを勉強したことがあるからに決まってるじゃないですか。

がしかし。

「昔からゲームが好きだったのでパソコン買ってプログラムした」
「ビルゲイツのようなIT起業家になりたいからプログラム勉強した」

などという高尚な動機で勉強し始めたわけではない。
プログラムを勉強し始めたきかっけは「じゃんけんで負けたから」

自分は埼玉大学建設工学科という土木系の学部で勉強をしていたのだが、当然理系なので4年生になると卒業研究をやらなくてはいけない。卒研の研究室(ゼミ)の配置は基本学生の希望を優先して決められるが定員があるので全てが希望通りになるわけではない。
人気の研究室というのは退官間際のおじいちゃん教授が多い。理由は退官間近なので一生懸命研究をやる必要がなく学生にうるさいことをいわないから。逆に不人気なゼミは先生がやる気がありすぎて学生に厳しい研究室。

自分は学内推薦を使わずに独自に就職活動をするため(土木系じゃなくて映像の仕事がやりたかったから)とにかく楽な研究室を希望していた。
当然人気の研究室は定員がオーバーする。なのでそれをじゃんけんで決めていた。自分はこのときじゃんけんに負けに負け続け、学内で一番人気のない、つまり一番厳しい研究室に当たってしまったのだ。

さらに研究室ごとにさらに担当の教授を選ぶことになるのだが、研究室の教授は二人。
一人は地震を研究する教授で研究は実験が主体になる。もう一人の教授は実験はまったくなくコンピュータでプログラムする作業が主体。

実験は日時が限定されるので就職活動がやりづらい。
プログラムなら自分のペースで進められるし、これからはコンピュータくらい使える方がいいだろうなぁ、という実に安直な理由でプログラムのほうの教授に決めた。

かくして明確なモチベーションもないのに自分はコンピュータとプログラムの勉強をすることになった。

軽い気持ちでプログラムの卒研を選んだ訳だがこれがその当時の自分には最悪なことになった。
この先生アメリカ地質学研究所(USGS)で2年研究して帰ってきたばかりの先生でやる気満々で学生に厳しい。

ゼミが朝の8時からという怠惰な大学生にあるまじき時間に開始。
ゼミがないときも9時までに来てないと怒られる。
終わりは授業と同じ17時くらいには帰ってもいいような雰囲気になるが、なんだかんだで19時くらいまで研究室に拘束。
就活でゼミを休んでも怒られる。
就活が忙しい時期にほとんど研究室に行かなかったらもの凄い勢いで説教をくらったこともった。
「もう、一体なんの拷問だよ!」と発狂しそうになったけ。

他の研究室なら週に2~3回あるゼミに顔を出していればOK。それを想定して3年までに卒研以外の全ての単位を取得し4年生は卒研だけ優雅にやろうと思っていたのに、朝から晩まで研究室にいなければならないというのは自分にとっては全くの想定外。
しかも教授は厳しいし、勉強し始めたプログラムはよくわからんし、就活したら怒られるしで一の数ヶ月は苦痛ばかりで何の楽しいこともなかった。

卒論のテーマは原発で使われた燃料棒を再処理したときにできてしまう高レベル放射性廃棄物の最終処分場を選定するにあたり、1万年規模で地殻変動がない場所を岩盤(断層)等を解析してその場所を選ぶための3次元用のデータ生成および表示するためのプログラム作成という、「原子力」がらみというデンジャーな響きとも相まって、とてつもなく難しそうなことのような気もするが中身はというと、3Dの岩盤モデルデータを作成してそれを表示するという、インとアウトの部分だけ作ればいい(中身の解析パートは研究室の院生と同級生が担当)という内容。

プログラムは大手ゼネコンを定年退職したおじいちゃんエンジニアの方に週一回全日使ってマンツーマンで教えてもらった。
学生なのにPC98とSunのSparkStationの2台コンピュータが使えて、週一でマンツーマンで教えてもらえるなんて、国立大学の授業料から考えたらありえないほど贅沢な環境。
それなのにその当時の自分ときたらコンピュータに興味がなかったので、そんな贅沢な環境とはつゆ知らず嫌々勉強したのだった。

嫌々やっているとはいえ、毎日朝から晩までコンピュータの前に座ってプログラム書いていれば嫌でも学習はしていくわけで。
このときに勉強したのが、ポリゴンの表示法、Zソート、Zバッファなどの隠面処理、シェーディングの理屈や、透視変換のかけ方などの超基本のCGの理屈。
さらにプログラムを走らせるのがUNIXだったので、ユーザーの作り方、パーミッション、基本的なコマンド群などを一通り勉強。

最初は嫌でたまらなかったプログラムの勉強も半年くらいやっていたら、慣れなのか、自分の思うとおりにできるようになったのか、途中からはそれなりに楽しんでできるようになっていた。

ゼミの最後の日に1年間お世話になったおじいちゃんエンジニアの方に「増田君。ここで勉強したことは、後で絶対に役にたつからね」と言われたものの「いやいや。ボクは土木系の仕事しないいんですよ。映像系の仕事ではあんまり関係ないと思います」と思いつつも、そんなことを言えるような雰囲気ではなかったので「そうですね」とその時に答えたが、まさかその後に本当に役に立つ日が来ようとは思ってもみなかった。

このときにちゃんと勉強したおかげて、コンピュータに興味を持つことができ、その後ゲーム業界に転職するきっかけとなったし、ゲーム業界に入ってからは3DCGやUNIXなど一度勉強したことだったので、特に抵抗もなく理解することができた。

その当時は嫌で嫌で仕方なかったことが、長い年月を経て役にたつことがある。
若いときは柔軟性もあり吸収力も高い。あまり自分の可能性を制限せずに様々な事に挑戦するほうがよいと思う。
というか若いときは自分が何者かも判らないわけで。あんまり難しく考えないほうがいい。

大学時代の自分は映像の仕事をしたいと考えてTV番組製作会社に就職した。その後いろいろあってゲーム業界の仕事に就くことになった訳だが、今振り返ってやっぱり映像の仕事に未練があるかというと、ほとんどない。結果的に今の仕事が向いていると思う。

コンピュータの仕事は常に技術的イノベーションが発生し、同じ形態を維持することなく変遷する。技術の進歩に対して常にキャッチアップしなければならないのはそれなりにシンドイが、これほどにエキサイティングは仕事もないだろう。


もしあの時、じゃんけんで勝っていたら今自分はコンピュータ関連の仕事をしていただろうか?
全く別の人生があったのだろうか?

昔そういうゲームを作ろうとして全然別のゲームになったのを思い出したw


0 件のコメント:

コメントを投稿