2011年10月24日月曜日
プランナーも技術的なことを知っておくべき、という考え方
自分はたまたまじゃんけんに負けてプログラムを勉強したくせに、現場のプランナーにはよく「プランナーも技術的なことを知っておくべき」ということを小言のように言っているロートルです。
「プランナーも技術的なことを知っておくべき」という考えは、ウチの会社の方針にもしていて今年の新卒の新入社員には職種の如何にかかわらずプログラムの研修をしてもらいました。中途採用で入ってプログラムを勉強したことがない人に対しては、現状の業務をこなしながら少しづつプログラムの勉強をしてもらっています。
他の会社、現場で「技術的なことをやるためにエンジニアがいるんだから、プランナーはプログラムのことを知らなくていい」という意見も聞くし、実際に大規模開発では分業が進んでいるので、なんとかなるケースもあるのですが、自分は「優秀なプランナー、さらにはプロマネやディレクターになりたいと思うならば、技術的なことは知っておくべき」だと思います。
ではなぜ技術的なことを知っておく必要があるのか?
①きちんとした仕様書をかけるようにするため
そもそも仕様書を書かない、という現場もありますが仕様書を書く前提で。※仕様書を書く、書かないでも一つの議論のネタになりますあ、それは追々。
プログラムや技術のことを知らない人が仕様書を書くと、そもそも技術的に困難な仕様を書いたり、フローがおかしかったり、ロジカル的にヌケのある仕様書になります。酷い仕様書を書かないために技術的な理解は必要。
②データやスクリプト作業を適切かつ迅速におこなうため
ゲームをドライブするためには大量のデータが必要になります。
テキスト、画像、ムービー、3Dモデル、テクスチャなどそれぞれの用途やフォーマットを理解してないと仕事できません。
また最近はUnityやUnrealEngineなどのゲームエンジンを使ったり、スクリプトを使用する場合が多いです。
何もプログラム知識がない人がこれをやろうとしてもかなり厳しいです。
また、ビルドやデプロイもプランナーがやっても良いわけです。いちいちエンジニアに頼んでエンジニアの作業時間をつぶすこともなくなります。
②問題解決を適切かつ迅速におこなうため
プロジェクトを進めていくと必ず技術的な問題が発生します。
技術的な問題を解決する場合に、まっとうに技術的な解決をしなくても、同じような要件を別の実装によって実現することも可能です。またエンジニアが正しい解決策を出すとも限りません。間違った指針で進んでいる場合に適切にカウンターを出して軌道修正できれば、プロジェクトを遅延なく進めることができます。
だいたいこんなところですか。
ではどんなことを知っておいたほうがよいか。
自分基準だと以下のような感じ。ひとまずサマリーのみ。詳しい内容まで書いていたらこのエントリ終わらないので割愛。
■コーシューマー
・プログラムの仕組みの理解。C言語。
・3DCGの基本
・画像データ、サウンドデータ、ムービーデータのフォーマットの理解
・CGツール(Maya、MAX)の基本オペレーション
■ソーシャルゲーム
・プログラムの仕組みの理解。PHPとか。
・Webの仕組みの理解
・RDBの仕組みの理解
・UNIXの基本オペレーション
■オンラインゲーム(MMORPG)
・コーシューマーとソーシャルの両方のスキル。全部入り。
経験上オンライゲームが最も難易度が高い。まあ開発の難易度が高いからアタリマエですけど。
よく人からは「望んでいるハードルが高すぎ。スキルの判断基準が厳しい」と言われることが多々ありますが、
知らないより知っていたほうが良いに決まってます。
良い仕事、いいプロダクトを作りたいと思っているならば、自分のスキルを上げるのは当然だと思うんですよね。
まあ、エラそうなことを言っても自分もまだまだ勉強不足なのでもっと勉強しないとイカンです。
とりあえず直近ではCSS3とOpenGL ESあたりもっと勉強しないといけないなー。
Unityも触りたいけどやっているヒマねー。
2011年10月18日火曜日
プログラムを勉強するきっかけはじゃんけんで負けたから
これまでいろいろな現場に行って、
「なんでプランナーなのにプログラム的なことわかるんですか?」
「ずっとプログラマーだと思ってました」
とか言われたりしていましたが、なんでプランナーなのにプログラムのことわかるかって?
そりゃプログラムを勉強したことがあるからに決まってるじゃないですか。
がしかし。
「昔からゲームが好きだったのでパソコン買ってプログラムした」
「ビルゲイツのようなIT起業家になりたいからプログラム勉強した」
などという高尚な動機で勉強し始めたわけではない。
プログラムを勉強し始めたきかっけは「じゃんけんで負けたから」。
自分は埼玉大学建設工学科という土木系の学部で勉強をしていたのだが、当然理系なので4年生になると卒業研究をやらなくてはいけない。卒研の研究室(ゼミ)の配置は基本学生の希望を優先して決められるが定員があるので全てが希望通りになるわけではない。
人気の研究室というのは退官間際のおじいちゃん教授が多い。理由は退官間近なので一生懸命研究をやる必要がなく学生にうるさいことをいわないから。逆に不人気なゼミは先生がやる気がありすぎて学生に厳しい研究室。
自分は学内推薦を使わずに独自に就職活動をするため(土木系じゃなくて映像の仕事がやりたかったから)とにかく楽な研究室を希望していた。
当然人気の研究室は定員がオーバーする。なのでそれをじゃんけんで決めていた。自分はこのときじゃんけんに負けに負け続け、学内で一番人気のない、つまり一番厳しい研究室に当たってしまったのだ。
さらに研究室ごとにさらに担当の教授を選ぶことになるのだが、研究室の教授は二人。
一人は地震を研究する教授で研究は実験が主体になる。もう一人の教授は実験はまったくなくコンピュータでプログラムする作業が主体。
実験は日時が限定されるので就職活動がやりづらい。
プログラムなら自分のペースで進められるし、これからはコンピュータくらい使える方がいいだろうなぁ、という実に安直な理由でプログラムのほうの教授に決めた。
かくして明確なモチベーションもないのに自分はコンピュータとプログラムの勉強をすることになった。
軽い気持ちでプログラムの卒研を選んだ訳だがこれがその当時の自分には最悪なことになった。
この先生アメリカ地質学研究所(USGS)で2年研究して帰ってきたばかりの先生でやる気満々で学生に厳しい。
ゼミが朝の8時からという怠惰な大学生にあるまじき時間に開始。
ゼミがないときも9時までに来てないと怒られる。
終わりは授業と同じ17時くらいには帰ってもいいような雰囲気になるが、なんだかんだで19時くらいまで研究室に拘束。
就活でゼミを休んでも怒られる。
就活が忙しい時期にほとんど研究室に行かなかったらもの凄い勢いで説教をくらったこともった。
「もう、一体なんの拷問だよ!」と発狂しそうになったけ。
他の研究室なら週に2~3回あるゼミに顔を出していればOK。それを想定して3年までに卒研以外の全ての単位を取得し4年生は卒研だけ優雅にやろうと思っていたのに、朝から晩まで研究室にいなければならないというのは自分にとっては全くの想定外。
しかも教授は厳しいし、勉強し始めたプログラムはよくわからんし、就活したら怒られるしで一の数ヶ月は苦痛ばかりで何の楽しいこともなかった。
卒論のテーマは原発で使われた燃料棒を再処理したときにできてしまう高レベル放射性廃棄物の最終処分場を選定するにあたり、1万年規模で地殻変動がない場所を岩盤(断層)等を解析してその場所を選ぶための3次元用のデータ生成および表示するためのプログラム作成という、「原子力」がらみというデンジャーな響きとも相まって、とてつもなく難しそうなことのような気もするが中身はというと、3Dの岩盤モデルデータを作成してそれを表示するという、インとアウトの部分だけ作ればいい(中身の解析パートは研究室の院生と同級生が担当)という内容。
プログラムは大手ゼネコンを定年退職したおじいちゃんエンジニアの方に週一回全日使ってマンツーマンで教えてもらった。
学生なのにPC98とSunのSparkStationの2台コンピュータが使えて、週一でマンツーマンで教えてもらえるなんて、国立大学の授業料から考えたらありえないほど贅沢な環境。
それなのにその当時の自分ときたらコンピュータに興味がなかったので、そんな贅沢な環境とはつゆ知らず嫌々勉強したのだった。
嫌々やっているとはいえ、毎日朝から晩までコンピュータの前に座ってプログラム書いていれば嫌でも学習はしていくわけで。
このときに勉強したのが、ポリゴンの表示法、Zソート、Zバッファなどの隠面処理、シェーディングの理屈や、透視変換のかけ方などの超基本のCGの理屈。
さらにプログラムを走らせるのがUNIXだったので、ユーザーの作り方、パーミッション、基本的なコマンド群などを一通り勉強。
最初は嫌でたまらなかったプログラムの勉強も半年くらいやっていたら、慣れなのか、自分の思うとおりにできるようになったのか、途中からはそれなりに楽しんでできるようになっていた。
ゼミの最後の日に1年間お世話になったおじいちゃんエンジニアの方に「増田君。ここで勉強したことは、後で絶対に役にたつからね」と言われたものの「いやいや。ボクは土木系の仕事しないいんですよ。映像系の仕事ではあんまり関係ないと思います」と思いつつも、そんなことを言えるような雰囲気ではなかったので「そうですね」とその時に答えたが、まさかその後に本当に役に立つ日が来ようとは思ってもみなかった。
このときにちゃんと勉強したおかげて、コンピュータに興味を持つことができ、その後ゲーム業界に転職するきっかけとなったし、ゲーム業界に入ってからは3DCGやUNIXなど一度勉強したことだったので、特に抵抗もなく理解することができた。
その当時は嫌で嫌で仕方なかったことが、長い年月を経て役にたつことがある。
若いときは柔軟性もあり吸収力も高い。あまり自分の可能性を制限せずに様々な事に挑戦するほうがよいと思う。
というか若いときは自分が何者かも判らないわけで。あんまり難しく考えないほうがいい。
大学時代の自分は映像の仕事をしたいと考えてTV番組製作会社に就職した。その後いろいろあってゲーム業界の仕事に就くことになった訳だが、今振り返ってやっぱり映像の仕事に未練があるかというと、ほとんどない。結果的に今の仕事が向いていると思う。
コンピュータの仕事は常に技術的イノベーションが発生し、同じ形態を維持することなく変遷する。技術の進歩に対して常にキャッチアップしなければならないのはそれなりにシンドイが、これほどにエキサイティングは仕事もないだろう。
もしあの時、じゃんけんで勝っていたら今自分はコンピュータ関連の仕事をしていただろうか?
全く別の人生があったのだろうか?
昔そういうゲームを作ろうとして全然別のゲームになったのを思い出したw
2011年10月10日月曜日
初めて買ったコンピュータ
初めて買ったコンピュータ
スティーブ・ジョブズが10/6永眠した。
彼の死を悼んでということで、自分が最初に購入したコンピュータについて書いてみる。
自分が最初に購入したコンピュータは1993年の夏に購入したMacintosh Power Book 108cだ。
社会人一年生でもらった15万円のボーナスと貯金をはたいて20数万円(25万円?)で購入した。
自分は社会人になるまで自分のコンピュータは持っていなかった。
最初に触ったコンピュータは大学の卒業研究で使ったNECのPC98(型番忘れた)とSunのSparkstation。
せっかくコンピュータの勉強するのだから自分用に購入しようか?と思ったが、その当時は朝から晩まで研究室で作業をしていたし、研究室に自分用のマシンがあったので必要ないと考えて買わなかった。
そもそもの話をすると当時自分はコンピュータの仕事をするつもりではなかった。
その当時は映像関係の仕事をしようと考えていたので、コンピュータの勉強をするようになったのはたまたま偶然が重なったに過ぎない。この辺の事情はそのうちまた別の機会に書く。
使用していたマシンはPC98とSunなのでOSはMS-DOSとUNIX。
泣く子も黙るCUI(コマンドラインインターフェース)のOS。
SparkstationにはOpenWindowsっていうGUIがのっていたけど使える代物ではなかった。
最初にcd,cp,lsあたりのコマンドから憶えていったのだが、その時の衝撃たるや忘れられない。
「え?CD?チェンジディレクトリ?いちいちタイプしないと動かないの?」
コピーするにもいちいちファイル名を指定しなきゃいけないし、コンピューターとは何て恐ろしくに使いにくいのだろうと気が狂いそうになったものだ。
最初の数ヶ月は嫌で嫌でたまらなかったのだが、とはいえ我ながら生存適応能力だけは人一倍高いので数ヶ月触っているうちに慣れた。まあ、そういうもんかと。
そんなこんなで悪戦苦闘しながら卒研の論文作成をしていたある日、ドクターコースを受けている三井建設の方が卒論の確認のために研究室に来た。
その人に論文を見せてもらったのだが、その論文のプリントの図版やフォントが市販の印刷のように美しかったので、「この図とか何で書いたんですか?スゴイきれいじゃないですか」と聞いたら、その人がおもむろにカバンか取り出したのがMacintoshのPowerBook!!
その筐体のデザインが素晴らしくカッコよかったこと!!
その当時のワープロといえばJustsystemの一太郎。しかしその当時の一太郎は段組や図版のレイアウトなどはできなかったので、自分は卒論を書くためにテキストと図版を別々にプリントし、それをスプレー糊で切り貼りして卒論を作っていた。
そんな泥臭い作業などせずに、一発で美しいドキュメントが作れるなんて何てエレガントなんだ!と感動し、「コンピュータを買うならMacにしよう」と心に決めたのであった。
卒業してから初めて入った会社はTV番組製作会社。
その会社にはMacのエバンジェリストみたいな役員の方がいて、そのため会社のPCは全てMac。
Macに触るのはこのときが初めてだったのだが、GUIのエレガントさにびっくりした。
これまで自分が触ってきたコンピュータとは比べものにならないくらい使いやすい。
ファイルはドラックアンドドロップでコピーできるし、ファイルをダブルクリックするだけでアプリが立ち上がる。WYSIWYGで表示されているものと印刷が同じ。フォントは綺麗。
一体自分が使ってきたコンピュータってなんだったんだと(SunのSpark使っていたのにこんなこと言ったら怒られそうだけど)。こんなに使いやすいコンピュータがあるんじゃないか、と感動しまくってボーナスで絶対に買うぜ!!と決めて買ったのがMacintosh Power Book 108c。
その後はいわゆる「マカー」一直線。
「マカー」のならわしとしてAppleの歴史を勉強するものお約束。
その流れでスティーブ・ジョブズという人物を知った。
いろいろと本も読んだりしたのだが最も印象に残っているのが『マッキントッシュ物語―僕らを変えたコンピュータ』という本。廃版になっているけどAmazonなどで古本が買える。
Macintoshの開発にまつわる話をジョブズを軸に語っているのだが、その内容が実にエキサイティングでおもしろい。Altoからいただいた話や、アイコンなどに異常にこだわるエピソード、ジョブズの傍若無人な振る舞いなど、どれもが面白すぎる。あんまし面白いので3回くらい繰り返して読んだ。
その当時の読後感として「こんなオモロイプロジェクトに参加できたら幸せだなぁ」と思った。たとえリーダーが傍若無人のキチガイ野郎でも、完成したプロダクトが革命的であれば作っている奴は十分過ぎるほど満足する。
ただこの当時はAppleを追い出された後だったので世間的な評価は今よりも低かったと思う。
世間的な評価としてはApple復帰後のジョブズの功績が評価されていると思う。まあtwitterとかブログ見ててもそんな感じだ。
しかし、自分の中ではこの本の影響もあって『ジョブズ=Macintoshを作った人』というイメージが強い。プロダクトとしてもiPhoneよりもMacのほうが好きだ。
プロダクトの出来としてもiPhoneのほうがジョブズの思い入れが隅々まで行き届いていて、よりジョブズらしいといえるかもしれないが、なんとなくMacのほうが好き。理由はない。なんとなくだ。
Macは2000年以降くらいから使うのをやめてしまった。
コーシューマーゲームで仕事する場合、開発マシンはWindouwsが基本だし、手がWindowsに慣れてしまったので。
iPhoneの開発のため時々MacOSXは使うが、インターフェースががらりと変わってしまったので使いづらい。個人的には漢字Talkのころのほうが直感的だったような気がする。まあ疑似マルチタスクでもの凄い不安定だったけれども…。
まあ一週間くらい使い続ければ慣れると思うけど。
その当時のMacを使っていた自分からすると世の中からこれほどまでにジョブズが評価される日来ることがあるなんて思ってもみなかった。
いきりなり思い出したように「Stay hungry, Stay foolish」とか「think different」言い始めたしねw
Macを使い始めた時のことを思い出すとその当時のワクワク感も一緒に思い出す。
アレと同じワクワク感をその後味わったかというとあまりない。iPhoneでもそれはなかった。
もう一度あのワクワク感をあるプロダクトを作れる可能性がある人を失ったことはとても残念です。
ご冥福をお祈りいたします。
ブログ始めました(再開しました)
ブログ再開しました。
ブログを始めました。というか再開した。
色々と思うことがあって再開した。
twitterだと書ききれないこともあるのでブログ書こうかとおもっていたが忙しくてなかなか着手できなかった。
以前は匿名でひっそり書いていたがtwitter実名だし、ブログも実名で書くことにした。
ついでにmixiに全然日記を書いてなかったのでこちらの日記にマージする。
仕事については様々な事情や守秘義務なんかがあるのであまりしない。
自分の過去を振り返りながら現在を考えるという趣旨で書こうかと思っているが、たぶんそのうち普通に映画の感想しか書かなくなるような気がする。
まあそれもいいだろう。
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