体力的な危機感を憶えるレベルで忙しかった。
クライアントさんのご厚意でしばしのブレイク。無茶苦茶寝た。
週一でブログ更新の目標を掲げたが1ヶ月であえなく躓いた。でもできる限り続けよう。
仕事と全然関係ないところで思うところがあって映画と小説の「アイ・アム・レジェンド」の感想を書く。
※「仕事と関係ない」と注釈いれないとイロイロと微妙なのは立場上メンドクサイなぁと思うけど。
※小説版は絶版らしい…。
原作はリチャード・マシスンの小説“I Am Legend”。
映画は「地球最後の男」「地球最後の男オメガマン」「アイ・アム・レジェンド」と3回映画化されている。
『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』などのゾンビ映画の始祖としてその道(SF好き、ゾンビ好き)には有名。
自分が観ているのはウィル・スミス主演の2007年「アイ・アム・レジェンド」のみ。映画観た後に原作を読む。
割と有名な話だが、2007年映画版と原作版で全く違う。
ハッピーエンドとかそういう意味ではなく、テーマの根本からして違う。
※DVD版には原作と同じバージョンの収録があるらしいが未見。
ウィルスによって全人類が吸血鬼化(ゾンビ化)して、免疫を持つ主人公だけが孤独にゾンビに戦いを挑むという基本的な流れは同じ。
2007年版は主人公がウィルスの血清を作り、英雄的な死に方をしたことによって「レジェンド」になるという、いつものウィルスミスのオレ様映画。個人的には廃墟と化したニューヨークの風景と雰囲気はとても良く、ラストはさておいて悪くないと思っている。
原作は全く方向性が違う。
思考能力を失っていたと思っていた吸血鬼(ゾンビ)に社会的なコミニティ(新人類)が出来ていて、彼からみた自分が夜な夜な仲間を殺戮しまくる悪鬼と思われていたことに気づく。
自分こそが彼らを殺戮しまくる伝説の怪物「レジェンド」であることに気づくのだ。
つまり「自分だけがマトモだと思っていたら、マトモじゃないのは自分のほうだった」という価値観の逆転がテーマなのだ。
何が言いたいかというと別に言いたいことはない。
映画版もアリといえばアリだが、原作版のほうが後でじわりじわりと効いてくる。
ちょいと思うところがあって「アイ・アム・レジェンド」を思い出したので書いてみた。
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